
九谷焼の始まりは、江戸時代初期の1655(明暦元)年頃。
大聖寺藩初代藩主・前田利治が、
領内の九谷村で陶石が発見されたことに着目し、
錬金の役を務めていた者を修業に遣わせ、
九谷村に窯を築いて色絵磁器生産を始めたのがきっかけです。
それから1710年頃に廃窯するまでに焼かれたものが「古九谷」と呼ばれ、
日本の色絵磁器の代表として高く評価されています。
廃窯から約80~100年後、金沢の春日山で窯が開かれたのを機に、
大聖寺藩内でも九谷焼再興の動きが起こり、
青手古九谷の塗埋手を踏襲した吉田屋窯、
赤絵密画の優品を残した木崎窯や宮本窯、
藩の贈答用品を手がけた松山窯など数多くの窯が現れ、
それぞれに素晴らしい画風を作り出しました。
明治時代に入ってからは、九谷庄三の彩色金襴手が主流となり、
大量の九谷焼が海外へ輸出されました。
現在は、各時代の窯の作風を礎に、より活発な生産が行われています。 |